月に祈りを…
彼女は27の歳に子を身篭った。
父となるはずの者は、既に此処には居ない。
周りの者からは、お腹の子を堕ろすよう説得されたが、そんなこと聞き入れる訳もなかった。
周りの雑音を振り払うかのように、彼女は月に祈った。
お腹の子が無事この世に生まれてくることだけを。
ただ、ひたすらに…
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誰に聞いたのだろう…
私が母のお腹の中にいた頃の話だが、随分と大人になってから聞いた気がする。
母の一途な祈りは叶えられた…が、私を産んだ後に母親は精神のバランスを崩してしまった。
その言動や行動かおかしくなり、やがて我が子である私を育てられなくなり手放した。
別の親族が私を引き取り、成人になるまで育ててくれた。
だが、「育ての親」であるその親族も、私がまだ若かった頃に認知症となり、長い年月を施設で過ごしたのち一昨年亡くなった。
母親はまだ生きているが、訳あって今は疎遠となっている。
存在を一日たりとも忘れることはないが、母親の精神的な病が引き起こす諸々で、私自身小さい頃からいろいろと辛い思いをした記憶の方が今は上回っている。
産んでくれたんだから、親には感謝しなきゃダメだと人は言う。
この「とりあえず」的なアドバイス…そのことに素直に頷けない私は幼稚なのだろうか。
今までもこれからも、子を産み育てることが無い私にとって、子育ての大変さは想像を絶するもの。
親の気持ちを理解出来る日は一生来ないと思う。
反面、精神的な病を患った家族を持つ思いを、今も嫌というほど味わっている。
そして、痴呆症となった家族を見ていくことが、どんなことなのかも味わった。
ずっと思ってることがある。
私を育てるのが大変だったから、母親も、育ての親もおかしくなってしまったのだろうかと…
全ては自分のせいでこうなってしまったのではないのだろうかと…
自分は生まれてきてよかったのだろうか。生きる意味とは何なのか…
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誕生日。
家族に祝ってもらったことなど一度もなかったから、「おめでとう」を言われることに未だ慣れないのが本音…
でも嬉しい。
小さい頃から身体が弱く、入院歴も手術歴も多いけど、この歳まで生きてこれてること、元気に誕生日を迎えられることに感謝出来る歳になりました。
産んでくれた親には…今日は感謝したいと思う。
お母さん、あなたのおかげで私は素敵な人生を送っています。
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月に祈る
家族が、心穏やかに日々過ごせることを…
こんなこと書くのは今日だけ。